What's New


Loading

日清戦争錦絵美術館とは

全201点 (2017年6月1日現在)


日清戦争錦絵というのは日清戦争進行中の1894〜95年にリアルタイムで出版された錦絵で、ほとんどの画題は日清戦争における戦場の速報である。ここでは、国立国会図書館のデジタルアーカイブに収蔵されている、125作品を紹介する。(一部重複あり)

 

 各作品は、縦約36cm×横約24cmを3枚つなぎにする体裁(大判3枚続き)をとっており、3枚つないだ時は、36cm×72cmとなり縦横比は約 1:2である。だいたい32インチのワイドテレビくらいの大きさと思っていいだろう。我々が浮世絵と言ったときにイメージする精巧な仕上がりと違って、継 ぎ目の色づかいや線の連続性などは適当な場合が多く、鑑賞用の作品というよリは情報に絵をつけた物であると考えた方がいいかもしれない。「豊島沖海戦」を 例にとればこの画題を扱った作品は14作品に及び、情報が蓄積されるにつれ、少しずつ正確さがましていった。少なくとも記事の部分は詳細になっていった り、訂正が施されたりしている。残念ながら絵の方が正確になっていったのかどうかは検証しがたい。画題が近代戦の様子を伝える物であるということは、必然的に、描かれる対象も艦船、大砲、銃などの近代的武器や整然とした軍服、そして組織化された軍隊となる。その中で、日本兵と清国兵の対比が意図的に構成さ れるのであるが、清国側をおとしめ、日本側を持ち上げる意図があからさまなのは容易に感じられる。このことには改めて後段で触れたい。

 構図はダイナミックな物が多く、遠近法をうまく利用してパノラマで戦況を伝えようとしている。視覚にうったえるメディアならでは特色を最大限に利用 しており、派手で扇情的であるものの一定の正確さを感じさせる所も多い。色使いも、明治になってから使われるようになった外国製の赤や紫を多用しており、 派手で扇情的な雰囲気を後押ししている。人目を引き、売れなければならない絵であったわけだが、絵師が工夫を凝らして書き上げた作品はそれなりの表現力が 備わっており、現代に通用するモダンな雰囲気を持っている物もある。特に漫画やイラストという視点から眺めると斬新といってよい表現が多く見られるように 思う。

 

 明治時代の情報メディアには、まず、明治初期に刊行された「新聞」(1868〜)があり、知識人はここから情報を手に入れた。一方、庶民は明治初 期までは、江戸時代から速報性を以てニュースを伝えた「瓦版」(江戸時代〜)を介して情報を得ていたが、西南戦争前夜の一時期、「錦絵新聞」(1874〜 81頃)というふりがな付きの解説文の添えられた錦絵が出版され人気を呼んだ。土屋礼子は「錦絵新聞は、もとは絵草紙という一つの名称のもとから流れ出た 絵本、錦絵、読売瓦版という、近世の視覚メディアを再統合した印刷物であるといえよう。視覚的な事件報道という点で先行メディアである読売瓦版が、不定期 発行で、ほとんど単色の粗末な非合法に近い出版物であったのに対し、錦絵新聞はその報道的性格を吸収し乗り越えた、迅速で定期的なニュース媒体であった。 錦絵新聞は浮世絵版画の継承的発展であり、錦絵の技術を徳川政権下では禁じられていた時事報道の領域へ解き放ち、色彩豊かでわかりやすい、文字の読めない 者をも引きつける魅力を持った視覚的情報媒体となった。錦絵新聞は近代以降のポピュラー・ジャーナリズムの出発点でもあった。庶民を話題の中心に据えた実 名報道とその視覚化は、後の漫画、紙芝居、グラフィック雑誌、テレビ等の視覚メディアにつながる表現形式を開拓したといえよう。」と定義づける。東京、大 阪、京都などで40種類ほど出版された「錦絵新聞」であるが、早くとも数日遅れというスピードでは、単色刷りの挿絵を配した平仮名絵入新聞などの「小新聞」(1875〜)の速報性に取って代わられるのも時間の問題であった。そんな中、西南戦争が起こり、「西南戦争錦絵」(1877)が大ブームを巻き起こ すのである。西南戦争錦絵は新聞記事をもとに絵師が想像で描いたものも多く、七重郎コレクションの解説文には「錦絵の版元が速報として西南戦争錦絵を発行 した。ニュースに飢えていた民衆が競って買い求め、あっという間に売り切れるというブームになった。 版元は千載一遇のチャンスと、有名、無名を問わず浮 世絵師たちに発注し、絵師たちは売らんがために真偽とりまぜ、扇情的なタッチで粗製乱造に描きまくり、わが世の春を謳った。その数は正確には把握できない が、千種類くらい出たのではないかといわれている」とある。

 「日清戦争錦絵」(1894〜1895)はその西南戦争の時の興奮が継続した成果である。ウィキペディアには戦争絵として分類されており以下のような解説がある。「戦争絵(せんそうえ)は、江戸時代から明治時代に描かれた浮世絵の様式のひとつである。

 戦争絵とは、源平合戦、川中島の戦いなどといった合戦や、明治時代の西南戦争、日清戦争などの様子を描いた浮世絵を指す。合戦絵ともいわれる。戦争絵自体は浮世絵よりも遥かに古くから存在しており、絵巻物や屏風絵などに多数描かれている。

 明治時代初期、日本国内を揺り動かした事件として西南戦争があり、多くの浮世絵師によって虚々実々取り混ぜて錦絵に描かれた。続いて朝鮮事変(壬 午事変、1882年)から明治27年(1894年)の日清戦争となり、この日清戦争が錦絵にとって最終で最大の戦争絵ブームであった。対外的かつ総力を挙 げての大きな戦争であって、国民的意識を駆り立てるものになった。この戦争を軸に国内外の思想、精神的姿勢も急激に変化していった。江戸時代以来の伝統的 な町絵師であった浮世絵師たちも、この時期に戦争絵に飛びつき、大衆もこれを迎え入れ、錦絵のブームを巻き起こしたのであった。陸上における戦闘のみに限 らず、近代戦として軍艦同士の戦いもあったり、兵器の発達もまた眼新しい題材となった。小林清親の詩情に満ちた戦争絵はいうまでもないが、役者絵を専門と していた豊原国周までもが、玄武門の戦いの様子を描くといった勢いであった。」

 

その後、日露戦争時にもたくさんの錦絵が出版されている。しかし、日露戦争時には、次なるメディアである写真を利用した絵はがきが大ブームを巻き起こすのである。

 特に興味深い作品のいくつかを見ていこう。 

 

「028 牙山大激戦日本大勝利之図」(右図、一部抜粋)を見ると画中に地図が挿入されているが、これなどは報道としての役割が大きかったことをよく示しているといえるだろう。

 面白いのは水野年方の描いた「052 大日本帝国万々歳 成歓襲撃和軍大捷之図」(左図)である。画中に、諸新聞社特派員・画伯米倦君・同金倦君という説明書きがあり、戦闘中の戦場の光景と平服でそれを見聞する、画家や記者が同じ画面に描かれている。国民新聞の記者に同行した従軍画家の久保田米僊と米僊の次男である久保田金僊である。現実空間では多分ありえないことをリアリズムとして許容させてしまう。この納得尽くが戦争絵を成立させている核心であるかもしれない。象徴的な1枚である。

「118 我軍牛荘城市街戦撮影之図」(左図)においてついに撮影隊が登場する。最後方において写真を撮影する姿はそれなりのリアリティがある。

「073 平壌激戦帝国大勝利」(右図)では画面中央の馬上で一騎打ちの肉弾戦を行なっているのは野津中将と清の大将左宝貴である。近代の戦争としてはありえない図であるが、分かりやすい絵ともいえるだろう。

 

 

 斥候兵という同じ画題を扱った二点を並べてみる。「085 我斥候鴨緑江附近に敵陣を窺ふ図」(下左図)と「086 佐藤大佐韓服を着し通訳官を従へ鴨緑江の沿岸を偵察す」(下右図)である。変装前と変装後と見ることもできるが、むしろ絵師の想像力の思うがままであると見えるがいかがだろう。

 

小林清親                            右田年英

 さて、個々の作品に関しては実際見ていただくとして、この「日清戦争錦絵」はボストン美術館にも多数収蔵されており、マサチューセッツ工科大学のビジュアライジングカルチャーズというホームページで誰でも見ることができる。

 John W. Dower が "Throwing Off Asia" という特集ページで歴史的な解説を加えて紹介しているのだが、そこから引用すると、「日本はだいたいにおいて勝者であったのだが、たまには英雄的な中国兵の姿や、日本兵と敵兵である中国兵を比較的公正に描いた戦いの光景が見られることもある。しかし、我等の英雄、つまり、一人で戦う日本兵を描いたものが少なからずあり、これなどは典型的な戦意高揚(戦争宣伝)であった。この頃、このような戦争絵を通して中国兵に対する蔑視が蔓延し、しばしば厳しい人種差別やむきだしの純粋なサディズムをもたらしたのである。
 身の毛もよだつような細かい描写をごらんなさい。中国人は刀で切られ、銃剣で突かれ、至近距離で撃たれている、ライフルの銃床で殴られ、絞め殺され、岩でつぶされる。海中でもがいていると何度もオールで打ちつけられ、崖や軍艦で死にもだえている。一枚の絵には、戦いに巻き込まれた市民が日本人にとっては異国風の服装でそのなきがらにまだ開いた傘をかけられ横たわっている。
 これは『目の当たりに見た』リアリズムではないということは特に冷静に考えなければならないだろう。浮世絵師たちは主として自身の想像力を駆使して仕事をし、前線からのニュースに仕立て上げたのだ。彼らは敏感な銃後の人びとに栄光と流血にまみれた画像を提供する、御用絵師に過ぎなかった。」
 

 厳しい見方である。そして、反論の言葉はあまり出てこない。どのような意図のもとに製作されているかはそう多くの絵を見るまでもなくすぐさま感じ取 れるのである。記事を読むとより簡単に理解できる。そして、複数の絵を比較すると、想像を重ねて描かれたであろうことも簡単に見て取れるのである。実際、 残酷で直視しがたい直接的な表現でセンセーショナルに興味を引き、日本兵の整然とした隊列や一糸乱れぬ軍服姿で近代日本の軍隊を誇るという構図が大いに好 まれたのだ。軍艦の船の色は日本が白、清国は黒である。清国艦隊はドイツ製の最新鋭艦を含む近代装備であったが被弾、火災、逃走、沈没している様子ばかり で新しい艦船には見えない。軍服は日本側が白か黒の制服、清国は色付きの民族衣装風の物であり、日本軍は整列し攻撃にあたり、清国軍は倒れ、攻撃されるか 散り散りに敗走する。武器は日本兵はサーベルに銃、清兵は刺又など。こうした並べ方に差別を植えつける意図はあからさまに感じられる。戦意高揚の意図と、 それにそった報道が第一、第二の目的としてあり、それに少しばかり芸術をくわえた。その3種類が混合して成立していたのが「日清戦争錦絵」であるといえよ う。
 

戦争絵は「西南戦争錦絵」「日清戦争錦絵」「日露戦争錦絵」と大きな戦争の度に熱心に製作され、太平洋戦争の時にはその名を戦争画と変えて生き残ってい く。陸・海軍主導で日本画家、洋画家を従軍画家として動員し、多くの「作戦記録画」という画が描かれたのである。戦後1946年にGHQに接収された 153点の「記録画」は、1970年に日本に無期限貸与という形で返還され、現在東京国立近代美術館に保管されている。  最後にもう一度John W. Dowerの言葉を引用しよう。「当時の日本人は『古い中国』の敗北は『封建的な古いアジア』そのものへの勝利であり、日本自身が近代化と発展の正しい進 路を象徴しているとみなしていた。『中国』は長く日本の伝統文化の父として尊敬されていたが、突然、実は時代遅れの老いぼれであったと気づかれたのだ。そ の結果として、たくさんの戦時印刷物が、無慈悲や、愚弄、残酷さをともなって、かつてないやり方で人種差別的な侮辱を中国に対し面と向かって投げつけたの である。そして、それは1930年代から1940年代にかけて日本軍が中国に行なった侵略行為のショッキングな暴力として再発することになるのだ。」

 以上のような歴史背景を考慮しながらどうぞごゆっくりご覧下さい。



以下の文献・サイトを参考に製作しました。

 

七重郎コレクション http://www.sake-inagawa.com/korekusyon.htm
日清戦争─「国民」の誕生 (講談社現代新書) 佐谷 眞木人 著
浮世絵文献資料館  http://www.ne.jp/asahi/kato/yoshio/index.html
錦絵新聞とは何か 土屋礼子 http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1999news/03/301/0301.html
THROWING OFF ASIA Ⅱ http://ocw.mit.edu/ans7870/21f/21f.027/throwing_off_asia_02/toa_essay01.html
戦争絵 http://ja.wikipedia.org/wiki/戦争絵    最終更新 2010年12月11日 (土) 13:11
日清戦争 http://ja.wikipedia.org/wiki/日清戦争 最終更新 2011年4月2日 (土) 08:15
国立国会図書館のデジタル化資料 http://dl.ndl.go.jp/
早稲田大学演劇博物館デジタルアーカイブコレクション http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/index.html
野田市立図書館電子資料室 http://www.library-noda.jp/homepage/digilib/bunkazai/b.html
東京経済大学図書館「朝鮮」錦絵型録 http://www.tku.ac.jp/~library/korea/KOREA.html
静岡県立中央図書館電子図書館システム貴重書画像データベース http://multi.tosyokan.pref.shizuoka.jp/digital-library/wiki.view_file.form?file=/

ニュースの誕生 http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1999news/index.htmltokyo.ac.jp/publish_db/1999news/index.html

 

このホームページは国立国会図書館、大英博物館、及び、静岡県立中央図書館のデジタル化資料を使用して構成されています。

 

日清戦争錦絵の元データはこちらに入って、日清戦争錦絵で検索して下さい。

                           このページの先頭に戻る

西南戦争錦絵美術館もご覧ください。

 日清戦争錦絵美術館ウェブサイトに掲載されているすべての情報(文章、 写真、イラスト、画像など)は、著作権の対象となっており、各資料の著作権者に帰属しています。また、当ウェブサイト全体も編集著作物として著作権の対象となっており、ともに日本国著作権法及び国際条約により保護されています。 

 

 「私的使用のための複製」や「引用」など著作権法上認められた場合を除き、無断で複製・転用することはできません。

 

 当サイトの内容の全部又は一部について、日清戦争錦絵美術館 に無断で改変を行うことはできません。

 

 国立国会図書館収蔵の画像の転載等の利用については、「国立国会図書館ウェブサイトからのコンテンツの転載について」をご参照ください。

 

 

このページの先頭へ移動

 

アクセスカウンター



プライバシーポリシー | サイトマップ
Ⓒ 2011 日清戦争錦絵美術館 All Right Reserved