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067 朝鮮平壌落城シ我兵大勝利                梅堂 小国政

 

明治廿七年 月 日印刷

   仝年 月 日発行

臨写印刷兼発行者 福田熊次郎 日本バシ区長谷川町十九バンチ

松槙刀?

第三師團

兵之一部

平壌背後(ウラテ)

自リ攻撃ス

右図 新聞記者

 

福田熊次郎 出版  明治27年

 

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新聞記者 登場

 戦争錦絵のプロパガンダ、娯楽、芸術、報道といったいくつもの顔のうち民衆を一番引きつけて錦絵が飛ぶように売れた要因の第一はやはり報道という側面であろう。戦場のリアルな速報であるからこそ、あるいは、そうであると信じられたからこそ大量に発行することが出来たのである。錦絵の絵師が直接派遣された訳ではないが、従軍記者からの記事に構想を得て、絵師が紡ぎ上げたものが戦争錦絵である。日清戦争での従軍記者としては「坂の上の雲」に描かれているように正岡子規が有名だし、国木田独歩は國民新聞の従軍記者として海軍に同行し、『愛弟通信』で一躍名を馳せた。 歴史的には1874年の台湾出兵では岸田吟香(東京日日新聞)、1877年の西南戦争では福地源一郎(東京日日新聞)や、犬養毅(郵便報知新聞)などがいる。また、日本最初の従軍カメラマン亀井茲明伯爵が日清戦争に従軍し、後に「明治二十七八年戦役写真帖」を出版した。実際に画家が戦場に派遣された例としては「052 大日本帝國萬々歳 成歡襲撃和軍大捷之図」にあるように国民新聞からの従軍画家として、日本画家・久保田米僊、金僊親子が派遣されている。



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