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永島 春暁

作品数 2点 (2016年8月16日現在)

永島 春暁 ながしま しゅんぎょう =永島孟斎(福太郎孟斎乕重)

 

生没年不詳

 

S017日清交戰朝鮮成観役分捕品ノ圖

S020朝鮮豊島近海激戦日軍艦隊大勝利の圖

 

 明治時代の浮世絵師。歌川芳虎の子といわれる。姓は永島、名は福太郎。はじめ虎重と称し、後に春暁、麗斎、竹林斎、孟斎と号す。明治15年(1882年)の『朝鮮変動記』3冊に「虎重」の落款で挿絵を描いたのが最も早い作画と思われる。3枚続で朝鮮事件を扱ったものもあり、明治21年(1888年)頃から「春暁」の号を用いている。「東京名所」シリーズ物や、第三回内国勧業博覧会、12階建ての凌雲閣物、浅草寺物、「上野公園風船之図」として、スペンサーのパラシュート降下を描いたものなどに特色がある。作画期は明治38年(1905年)頃までとされる。

Wikipedia日本語版 永島春暁2013年9月14日 (土) 00:00 UTCの版

http://ja.wikipedia.org/wiki/永島春暁


 以前に「永島孟斎って誰?」というタイトルでブログに記したことがあるが、その内容を抜粋すると、

 永島孟斎を名乗る絵師が2人いる。歌川芳虎と永島乕重は別人であるが、ともに永島孟斎を名乗ったことがある。芳虎が師匠か父兄、乕重が弟子か子弟という関係だ。芳虎は絵師として活発に活動したが、乕重は玩具絵などにとどまり、むしろ、絵師というよりは企画者として記事を書いていた。二人を呼び分けるには辰五郎孟斎と福太郎孟斎、孟斎芳虎と孟斎乕重、須田町の師匠と〇〇町の弟子、といった呼び方。

 西南戦争錦絵でこれまで紹介してきた作品の中に永島孟斎作品は12作品あるが、すべて、歌川芳虎つまり辰五郎孟斎芳虎(須田町の師匠)の作品であり、中に数点、弟子の福太郎孟斎乕重が文章を添えたものがある。

 早稲田大学の古典籍データベースを見ると永島福太郎が文章を書いている例が5件ある。全部、永島福太郎録・加賀吉板・永島孟斎画となっており、弟子の文章に師匠が絵をつけたようだ。師匠の作画期は弟子は孟斎を名乗っておらず、福太郎という名前で活動していた。

 今回(2014/10/22)永島春暁が弟子の方の永島孟斎つまり永島福太郎孟斎乕重であることがわかったので、福太郎孟斎乕重の初見の作品ということになる。日清戦争錦絵の中でも初めての永島孟斎となる。そして、やはり錦絵というよりは百科事典のような一覧図であった。やはり、乕重は絵師というよりは、企画者としての色彩が濃厚なようだ。

作品数 2点 (2016年8月16日現在)

No.

タイトル

出版日時

カテゴリー

所蔵

版元

1

S017日清交戰朝鮮成観役分捕品ノ圖

1894/09/00

日清戦争

錦絵

静岡県立

中央図書館

片田長治郎

2

S020朝鮮豊島近海激戦日軍艦隊大勝利の圖

1894/08/19

日清戦争

錦絵

静岡県立

中央図書館

荒川藤兵エ

 

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