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赤十字の標章について

075平壌激戦我軍大勝図から 部分

 日清戦争錦絵の中の「075 平壌激戰我軍大勝圖」 の見直し作業をしていて気づいた事がある。前に新島八重がこんな姿だったのではとブログに書いたが、その看護師の腕章である。はっきりと赤十字の標章がある。2人とも全く同じ姿なので多分制服であろう。赤十字の標章の事を調べた所なかなか面白いのでご報告しよう。


博愛社創設許可の図
寺崎武男 筆


   

 日本赤十字は西南戦争時に佐野常民や大給恒(おぎゅうゆずる)らが熊本洋学校に設立した博愛社が始まりであるが、その設立にあたっては、敵味方の区別無く救護を行う精神が政府に理解されず、征討総督である有栖川宮熾仁親王の私的な認可で設立された。 
 当時の標章については、1877年のイラストレーテッドロンドンニュースの絵の中で横浜港から出発する官軍の兵士の中に赤十字のマークの入ったリュックを背負っている者が描かれている。ただ、この時期は博愛社が、戦地熊本で活動していたのであろうし、後で述べるように赤十字の標章が使用されるようになったのが、10年後なので、この兵士は、博愛社の関係者というよりは、若き国際赤十字活動(1863年から)を知るイラストレーテッドロンドンニュースの記者の思い込みか、あるいは、勇み足、つまるところ創作では無いだろうか。ただし、赤十字の標章の意味する所は政府でも認識していたはずである。

西南戦争で西郷軍を討つために横浜港から発つ帝国陸軍の画の中で右側に赤十字が描かれたリュックを背負った兵が描かれている。Troops For Satsuma (Embarkment,)Illustrated London News1877

 西南戦争錦絵の中では S012 伝聞民之喜 つたゑきくたみのよろこび という絵を7月に追加し、前々回のブログでもご紹介済みだが、この中に「鹿児嶋士族不平を起し朝意にあやかり その昔加藤清正の遺言を聞知して熊本の要所を頼みに官軍と抗戦数日に至り 官兵も傷者少なからず これにより各所に病院を設置し医員数十名看病卒数百人にして厚く治療を施さるることたとえにものなし ここにかけまくもかしこき朝廷 深く憂慮せられ御慰問の使を再度遣され 皇太后宮皇后宮にも御親製の綿撒糸(めんざんし)その他をたまわり 撫恤(ぶじゅつ)下さるるは実に雀躍の至りならずや これを全国に告げ 共に歓喜して奉謝せずんば あるべからず」という記事があり、皇室と博愛社の深いつながりをよく示している。

S012 伝聞民之喜 つたゑきくたみのよろこび

 さて、いよいよ本題の赤十字の標章であるが、博愛社が最初に赤十字の標章を使用しようとしたとき、三条実美が「これは耶蘇の印だ」といって認めなかったため、設立から約十年間は日の丸の下に横棒を一本引いて博愛社の標章として使用していたという事だ。

左が博愛社が10年間使っていた日の丸横一の標章の想像図(筆者作成)、右は現在の赤十字の標章
(ウィキペディアより)

 1886年に明治政府がジュネーブ条約に調印したことで1887年博愛社は改称して日本赤十字社となる。そして、その時に赤十字の標章をそのまま採用した事になる。赤十字社はその活動内容からして、標章を一番大切にしている。つまり、戦場のなかで中立である事を敵味方にはっきりと伝える必要があるからである。そして、緊急事態でもそのサインが使用できるよう標章に関しては、デザインの厳格な規定は無い。そのかわり、類似したあらゆるサインが禁じられているのである。1887年に日本赤十字社としてスタートした時点で、その標章は現在の物と同じになったという事である。 現在でも、赤十字のマークには複数種類がある。十字はキリスト教の印だとして、嫌うイスラム教国は赤新月を使い、パーレビ王朝のイランは赤獅子太陽旗を使っていた。イスラエルはダビデの赤楯旗を使いたかったが、認められず、赤十字の構成メンバーにはなっていなかった。2005年にそのあたりを解決するプランとして赤の菱形を象った宗教的に中立な第三の標章「レッドクリスタル」が正式に承認された。

上段の左は赤十字、中が赤新月、右は赤獅子大陽
そして、下段が第三の標章レッドクリスタル(いずれもウィキペディアから)

 レッドクリスタルは単独で用いる以外に中の白地の部分に独自のマークを入れても構わないこととなり、中に「ダビデの赤盾」のマークを入れた標章を用いることで、イスラエルの赤盾社は国際赤十字への加盟が出来る事となった。同様に国内での宗教勢力のバランスから赤十字・赤新月の標章を併用したいと主張しているエリトリア等の国や地域でも、「レッドクリスタル」の中に赤十字・赤新月両方のマークを入れた標章を使用することで国際赤十字への加盟を期待しているそうだ。

左がダビデの赤楯(不認可)、中はレッドクリスタル、右はレッドクリスタルの中に
ダビデの赤楯を配した標章。これによってイスラエルは国際赤十字に加盟できる事となった。

以上、この項は「明治日本と赤十字」吹浦忠正ならびに赤十字社 ウィキペディア日本語版 最終更新 2012年10月1日 (月) 11:48 (UTCの版)http://ja.wikipedia.org/wiki/赤十字社を参考に構成した。画像は日清戦争錦絵美術館(国立国会図書館)ウィキペディア日本語版の赤十字の項、佐野常民の項、西南戦争錦絵美術館(静岡県立中央図書館)のものを使用した。赤十字の標章に関しては改ざんや乱用が厳しく禁じられている。この項において、想像図として作成した博愛社の日の丸横一の標章は、あくまでも赤十字のサインの変遷を研究するための参考資料として作成した物で研究以外の意図は無い事をお断りしておく。最後に、1877年のイラストレーテッドロンドンニュースの横浜出航の赤十字を背負った兵士が両手に旗をもっており、旗のデザインは横に一本の直線を引いた物に見える、モノクロなので色は不明。旗の種類や意味などご存知の方は、ご教示くださいませ。

 


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