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七月の追加作品と『浮世絵探検』高橋克彦

 

S012伝聞民の喜


S010西國紀聞出陣問答
S011羅喉星見立競当九星
S012伝聞民之喜
 以上三作品を追加した。いずれも静岡県立中央図書館所蔵品である。「伝聞民之喜」は西南戦争開戦後2ヶ月余で設置された官軍の病院を後方から支えた、英照皇太后(明治天皇の嫡母)と昭憲皇太后(明治天皇の皇后)を取り上げている。絵としては女官が薬液に浸したガーゼ(綿撒糸めんざんし)を準備している姿を写しているが、この程度で、民が雀躍する程のありがたみがあったのかは疑問であるが、華やかさは伝わっている。昭憲皇太后は『維新期の皇后として社会事業振興の先頭に立ち、華族女学校(現学習院女子高等科)や、お茶の水の東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)の設立、日本赤十字社の発展などに大きく寄与した(赤十字社の正式紋章「赤十字桐竹鳳凰章」は、紋章制定の相談を受けた際、皇后がたまたま被っていた冠が桐と竹の組み合わせで出来ていた事から、「これがよかろう」という事で決められたという)。1912年(明治45年)、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.にて第9回赤十字国際会議が開催された際、国際赤十字に対して皇后が10万円(現在の貨幣価値に換算すれば3500万円ともいわれる)を下賜した。赤十字国際委員会はこの資金を基にして昭憲皇太后基金 (Shōken Fund) を創設した。この基金は現在も運用されており、皇后の命日に利子を配分している。』(昭憲皇太后  2012年7月25日 (水) 21:11 UTCの版 ウィキペディア日本語版 http://ja.wikipedia.org/wiki/昭憲皇太后)とあるように、社会福祉に積極的に取り組んだ面があるようだ。残念ながらそのことを充分に伝える絵にはなっていないといっていいだろう。想像で紡いだ画の限界を示しているのかもしれない。

075平壌激戦我軍大勝図

 以前にご紹介した、日清戦争時の看護師の絵は最前線で活動する様子を活写しているように思われるが、そういうリアリズム(と言い切っていいかは疑問が残るが)が発揮されるためには現地で取材を行うという、今では当然の行動が必然であったであろう。その意味で、「伝聞民之喜」は未だ過渡期の作品であり、絵師の取材する力の弱点を如実に示しているといえるだろう。

056西国鎮静撫諸将賜天盃之図

 実際、「伝聞民の喜」は左に示す、西南戦争終了後の功労の宴を描いた画「西国鎮静撫諸将賜天盃之図」と大してイメージは変わらないのである。複数の女性が登場し華やかな色遣いで美しく表現できる、宮中という題材はその絵の本来のテーマをも霞ませてしまうという、実は非常に危うい画題でもあったのだ。


 七月中に「日清戦争錦絵美術館」の40枚目までズームツールを導入し、記事の中味を見直した。この後は、すべてにズームツールを装備して、また、記事をさらに整理していきたい。大英博物館所蔵の日清戦争錦絵が7点程確認できているので近いうちに追加したい。

 

 

浮世絵探検 高橋克彦


 高橋克彦著「浮世絵探検」は浮世絵に関する対談集で、ゲストが多彩でとても面白い。1997年岩波書店刊なので、少し古い本であるが、文庫版も出ていて、手軽なので時々読み返している。その中で、宮地真人( 東京大学史料編纂助教授・当時 現・東京大学名誉教授)が次のように語っている。

「ペリーが来たという事が歴史的な事件ではない。アメリカの黒船は、アジアでもアフリカでも、どこでも来ている。どこでも来ているけれども、あれだけ大騒ぎになったのは日本だけだという事が問題なのだ、と。来たということよりも、どう受け止められたかという問題を視野に入れないと、民衆レベルの意識の問題というのは出てこないのではないか。そういう視点で、近世における非文字資料、とくに画像資料が何を担ったのかというのは、相当大事な問題だろうと思っています。」

 正鵠を射るとはまさにこのことで、「西南・日清戦争錦絵美術館」もこの視点を大事にしていきたいと思っている

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